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関ヶ原で唯一旧領を復活?先人たちの底力知恵泉で福岡柳川の大名立花宗茂が登場!

8月29日の先人たちの底力知恵泉では関ヶ原に敗れ領地を奪われながら唯一元に復帰できた大名、立花宗茂が登場。

どん底でも自分を磨き、酒宴には全力で挑めと説き、理想の武将として人気急上昇中。

その復活の知恵に迫ります。

 

先人たちの底力知恵泉

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先人たちの底力知恵泉は人々が組織や社会の中で直面している課題は歴史の偉人たちが取り組んできたものに通じている、というテーマの元に現在の課題や関心事項を毎月1つのテーマに設定してその解決のヒントを探っていく番組。

↓8月22日には坂本龍馬や吉田松陰の師匠にあたる佐久間象山が取り上げられました。

先人たちの底力知恵泉で緋村剣心のモデル河上彦斎に暗殺された佐久間象山登場

8月29日はお家断絶のピンチから奇跡の復活を遂げた福岡、柳川の戦国大名立花宗茂。

立花宗茂は九州随一の武勇をうたわれ、人徳に富む男ながら関ヶ原で敗れ領地を没収され、食事にも困る生活を送るまで落ちぶれてしまいます。

しかし、立花宗茂は領地を取り戻す奇跡を起こすことに成功。

それを可能にしたのが弓や茶道などの自分磨き、そしてとことん真剣に取り組んだ酒宴の隠し芸など、現代のビジネスマンにもそのまま当てはまりそうな内容となっています。

 

立花宗茂

立花宗茂(たちばなむねしげ)は1567年から1643年まで生きた大名。

(wikipedia)

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先に説明しましたが、関ヶ原の戦いで敗れ改易後、大名として復帰した大名はいるものの宗茂のように旧領を回復した武将はただ一人です。

立花宗茂は関ヶ原で敗れ、江戸時代に入ると改易されて浪人となります。

その器量を惜しみ、加藤清正や前田利家から家臣となるよう誘われるも宗茂はこれを謝絶、加藤清正に食客として遇された後に家臣を連れ京都へ。

その後江戸に下ると本多忠勝の世話を受け、忠勝より江戸城に推挙され、1604年には徳川家康より嫡男徳川秀忠の御伽衆として1万石を与えられ大名として復活。

1610年には3万5,000石にまで加増を受けています。

さらに1614年大阪冬の陣や1616年の幕府への反乱未遂事件などで活躍し1620年には幕府から旧領の筑後柳川10万9,200石を与えられるに至りました。

 

立花宗茂の人物や逸話

立花宗茂は豊臣秀吉や徳川家康から高く評価され、戦上手なだけでなく温厚で誠実、義理堅く正直な人物であるとされており、幕府も宗茂に対しては寛大な処置を取っています。

その人となりから「武士の中の武士」と呼ばれたと言います。

 

朝鮮出兵時家臣に与えた甲冑の袖発見

福岡県柳川市は25日に立花宗茂の甲冑の袖が家臣の子孫の家から見つかったと発表しました。

柳川藩には朝鮮出兵時の1593年、邪魔な袖を切り落として戦っていた家臣に宗茂が自らの袖を与えたという記録が残されており、話が実話だという確証で、また主従の絆を象徴する発見だとも言います。

袖は12月から柳川古文書館で開かれる「立花宗茂生誕450周年記念特別展」で一般公開される予定です。

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