テレビ番組

先人たちの底力知恵泉で戦国武将「今川義元」強さの秘密は仲間をつくる極意?

8月8日放送のNHK Eテレ先人たちの底力 知恵泉では今川義元が取り上げられています。

今川家の五男として生まれ、仏門で一生を送る運命だったはずの義元がどのように今川家当主に上り詰め、海道一の弓取りと呼ばれるようになったのか、その秘密に迫ります。

今川義元

スポンサーリンク

今川義元は戦国時代、駿河国と遠江国の大名で、今川家の第11代当主となった人物で、桶狭間の戦いで織田信長に敗れ、42歳で亡くなっています。

今川義元と言えば、コーエーのゲーム「戦国無双」では↓のように、戦国武将に似つかわしくない風貌をしています。

しかし、実際には今川義元は各方面で才覚を発揮し、領国を拡大、戦国時代における今川家の最盛期を築いた人物でもあります。

番組内では、漫画家の宮下英樹さんとともに今川義元が「仲間をつくる極意」で時代を切り開いた経緯が解説されます。

 

今川義元は貴族趣味に溺れた人物?

上の戦国無双の今川義元のような描写がされる理由として、今川義元が公家文化に精通し、都を逃れた公家たちを保護、自らも公家のようにお歯黒をつけ、置眉、薄化粧をしていたとされる点が挙げられます。

スポンサーリンク

しかし、こうした貴族趣味に溺れた人物としての描写は後世の創作であるという説もある一方、事実だとしても武家では守護大名以上に許された格好で家格の高さを表すものであり、また武士が戦場に向かう際に化粧をすることはたしなみの一つだったとする説もあるそうです。

 

今川義元の後世の評価の低さ

今川義元は一般には織田信長に桶狭間の戦いで敗れた人物として有名で、その敗因も圧倒的に有利な情勢から信長を軽んじ他ことが敗北を招いたとされています。

また、輿に乗り移動していたという史実から幼少時に落馬した恐怖から乗馬できない、太っていた、寸胴短足だったなど後世の創作二より評価が低くなっています。

しかし、実際のところ輿に乗っていたのは、義元の足利将軍家との親密な関係から特別に輿に乗ることを認められており、合戦の際も輿に乗るのはその誇示という面もあったと言います。

8月8日の番組ではこうした将軍家や公家たちとのつながりが語られるのでしょうか。

 

今川復権宣言

静岡市の田辺信宏市長は2017年5月19日に今川義元の生誕500年(2019年)に向けて、「京文化に精通し、優れた政治的・軍事的手腕のあった今川義元の功績を再評価することを宣言する」と今川復権宣言がされています。

静岡大学名誉教授の小和田哲男は「義元は上杉謙信や武田信玄と肩を並べる戦国武将。桶狭間の戦いで織田信長に討たれたが、たった一度の敗北でだめだということではない。義元の功績を再評価できれば」と講話を行いました。

スポンサーリンク