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所ジョージから「浅田飴のおじさん」テレビ・ラジオ草創期の立役者永六輔さん死去

「上を向いてあるこう」などのヒット曲を持つ永六輔さん(本名:永孝雄さん)が7月7日に83歳で亡くなっていたことが分かりました。

永六輔さんは、草創期のテレビ業界で放送作家として活躍し、「上を向いて歩こう」「こんにちは赤ちゃん」「遠くへ行きたい」などのヒット曲を作詞、またラジオ番組やテレビ番組の制作に携わり1961年から1966年まで放送された「夢であいましょう」などの人気番組の脚本を書き、自らも番組に出演するなど多方面で活躍されました。

永六輔

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家族関係は、長女の永千絵さんは映画エッセイスト、次女の永麻里さんはフリーアナウンサー(元フジテレビ)、麻里さんの長男で孫の育乃介さんは俳優、藤本義一さんとは遠戚関係にあります。

 

作詞家としての活動

永六輔さんは戦後早稲田高等学校を卒業したころからラジオに興味を持ち、焼け跡の金属を換金して秋葉原で部品を買い鉱石ラジオを組み立てるグループを作りました。グループのリーダーは渥美清。

この頃から、NHKのラジオ番組にネタを投稿するようになり、早稲田大学在学中にスカウトされ放送作家
司会者としてデビューしています。

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1959年に作曲家の中村八大からの依頼がきっかけで「黒い花びら」を作詞し、第一回日本レコード大賞を受賞。その後も中村八大とはコンビを組数々のヒット曲を生みました。

「上を向いて歩こう」は、アメリカで「スキヤキ・ソング」とタイトルを変えてビルボードのウィークリーチャートで3週連続1位を獲得したほど。

闘病生活

テレビやラジオで活躍していた永六輔さんですが、2009年に呂律が回らなくなったと週刊女性に報じられる事態となりました。
この時、永六輔さんは加齢といればのせいだとしていましたが、病院で診断したところパーキンソン病だと診断されました。

パーキンソン病の影響で歩行困難まで起こしており、2006年には転倒して右足小指骨折、2011年には大腿骨頸部を骨折するなどしていましたが、ラジオのレギュラーは病室からの収録がされるなど措置が取られました。

2016年6月27日には「六輔七転八倒九十分」が終了し、全レギュラー番組を降板。今後はスペシャル番組などがあれば出演していく予定でしたが、2016年7月7日に死去していたことが分かりました。

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